「夢の島」に魅せられて
かつてアイヌ民族にリ・シリ(高い島)と呼ばれたこの島は火山活動により形成され、独立峰利尻山を主体とする。日本において登山の対象となる山を有する島は数多く存在するが、標高が1000m以上かつ滑降の対象となるのは利尻山のみであろう。浸食を受けた深い谷が独特の山容を形成し、360度日本海に囲まれた厳しい自然環境が故に標高600m付近で森林限界となる。
私が初めて利尻山の存在を知るきっかけとなったのは、国際山岳ガイド、山岳スキーヤーとして活躍されている佐々木大輔氏の「利尻岳大滑降」である。クライミング要素の強いルートを滑降道具を背負って登り、登攀装備を背負って滑り降りる、いわゆるクライム&ライドに衝撃を受けたのである。それと同時に「これをやりたい!!」という自分でも驚くほど純粋で真っ直ぐな欲求を感じたのを覚えている。そしてその時から私にとって強い憧れを持った「夢の島」となった。
3/21利尻山東稜‐アフトロマナイ沢滑降
「あれ、もしかして明日がラストチャンスかなー。」と私の少し大きめの声で発せられた独り言にニコリとする國見。國見は私と同じく先シーズンより、利尻島でガイドとして活躍されている渡辺敏哉氏に師事し、活動している。すぐに翌日の休みを懇願し、了承を得ることができた。この時の時刻は午後7時過ぎ、出発は5時間後の深夜0時に決めた。バタバタと装備チェックとパッキングをしているときの私たち2人はまるでハネムーン前の新婚夫婦のように浮ついて見えたらしい。なんだか久しぶりに興奮して眠れない夜であった。
深夜0時37分標高14mより登り始める。想像通りの気怠さを感じながら、ヘッドライトで照らされた足元を見つめ黙々と林道を進んでいく。アフトロマナイ沢右岸の尾根に取り付き、そこを登っていくルートが通常なのだが、渡辺氏の助言で標高1460m通称鬼脇山へと突き上げる鬼脇山スロープを登ることとなった。スキーアイゼンを持っていくかどうかを検討していた私たちに向かって「なーんも沢から行けばいいべ。」と渡辺氏の一言。思いもよらぬルート選択に大きな経験の差を感じた。最近は強風が続き、沢の中も硬いアイスバーンであることは容易に予測できた。リスクが低いと判断したのであれば、この時期であっても標高差1100mの沢詰めは選択肢に入るのである。
順調に高度を上げると沢の中は予想以上の強い風が吹き上げたり吹き降ろしたり安定しない。暗くてあたりを見渡すことができないこの状況は寒さをより強く感じさせる。予定通り日の出前に標高1460mの鬼脇山ピークへ到着した。薄明かりの中、山頂付近にだけ雲がかかっているのを確認した國見の背中は少し残念そうに見えた。5時37分、東の北海道本土方向より日が昇った。するとみるみる山頂にへばりついていた雲がどこかへ消えていき、ピンク色に染まった山頂が顔を出した。確かこの時の2人は下界であれば職質必至な言葉にならない奇声を発し合っていた気がする。ただひとつはっきりと覚えていることはこの瞬間、心から幸せだと思った。
朝日に照らされながら南側に大きく張り出す雪庇を踏み抜かぬよう慎重にトラバースする。ピンク色からオレンジ色へと色を変化させた山頂が登ってきてみろと言わんばかりである。下を見るとまだ光の届かない何とも不気味な谷底が、そして振りかえると朝日に光輝く海が見えた。すべての色の自己主張が激しい。風の強い利尻ではあまり見ることのできない綺麗な結晶のまま降り積もった雪を踏みしめ、想像以上の軟らかい雪に悪態をつき進んでいく。神々しい利尻山に入り込めば入り込むほど、自分たちの汚いところが出てしまうのは睡眠不足からくるものなのか、それとも根性なしのゆとり世代だからであろうか。一歩一歩確実に標高を上げていき7時45分南峰と本峰のコルに到着、東稜を登りきった。
稜線に出た瞬間背負っているスキーが煽られ立っているのがやっとの風が吹き荒れていた。東稜を登り終えた喜びを分かち合い、すぐに東側の登ってきたルートを戻る。15歩、距離にして約7m東側に降りると再び無風となった。この日の天気は西の風が徐々に強まる予報、利尻山が風をブロックしてくれていたので気づかなかったが、すでに天気は悪化に向かっていた。本峰を越えた先がアフトロマナイ沢のドロップポイントである。風に煽られながらのクライミングに少し時間がかかったが、9時35分標高1721m利尻山本峰へ登りきった。風を少しでもかわすところでビレイしたかったのだが、ここは日本海に浮かぶ山、そんな都合のいいところがあるわけもなかった。
眼下には360度広がる海、見渡す限り自分より高いものは存在しない。間違いなく人生で一番美しい景色を見ながら、人生で一番寒くて体が震えていた。満面の笑みのつもりで撮った山頂での写真は寒さで顔が固まり、何とも見苦しい苦渋の表情の2人が写っていた。
残るはメインイベント。海まで標高差約1700mを滑り降りるのみである。クライム&ライドといいつつスキーがメインと思っている私は一生クライマーにはなれないのであろう。海へと真っ直ぐに伸びる惚れ惚れするラインを目の前に興奮を抑えることはできなかった。ふーっと少し長めの息を吐き、海へとスキーのトップを落とし込んだ。序盤の急斜面は慎重にスラフをやり過ごし、徐々にスピードを上げていく。そこには滑りなれた利尻山特有の踏み応えのあるパウダースノーがあった。1ターンごとに舞い上がるスプレーと自分のシルエットが雪面に影となって映し出される。できるだけライダーズライトの北向きのラインをとり急斜面を滑りきった。無意識に出ていた声がアフトロマナイ沢に響いていた。
3/25 利尻山東北稜―オチウシナイ沢滑降
厳冬期の利尻島は極端に日照時間が短く、利尻山名物の「風」が吹き荒れ、標高を上げることをそう簡単には許してくれない。そんな厳冬期に行われた「利尻岳大滑降」は島で生活し、山に通えば通うほどその凄さを思い知らされた。しかし時期は1か月違えど憧れのルートを登り、憧れの滑降ラインにシュプールを刻むことは私にとって最も大事な通過点に思えた。
深夜2時30分標高12mより小雨のぱらつく中を登り始めた。よくナイトハイクをしているとガサガサと何かが動く音やヘッドライトの明かりが動物の目に反射して光り、ビビリな私は何度も驚かされるものだが利尻島にはシカやキツネ、ヒグマは存在しないので幾分気が楽である。この日の天気予報は徐々に良くなる予報。尾根が細くなりはじめる1003mピークあたりで日の出を迎えるよう計算して歩いていく。薄いクラスト層の下には厚い霰の層があり、まるで僕らを登らすまいと罠を仕掛けたかのようにずるずると滑り落ち、全く上へ進むことができない。思い切り雪面に膝蹴りをかまし、クラストを割り、安定のしない霰に足を突っ込み、ズリズリと下に落とされる。黙々と一歩一歩この作業を繰り返していき、やっとの思いで1003mピークに到達した。ここから本格的に東北稜のお楽しみがはじまるというのになんだか2人してもうぐったりだった。
山頂には雲がかかり、先ほどまで雨を降らしていた黒い雲が東の空で太陽を被い隠していた。足下が定まらない不安定な雪質の中、ナイフリッジや急な雪壁のトラバースをこなしていき、通称「門」と呼ばれる岩壁が目の前に現れた。岩に張り付いた分厚い雪をバイルと自らの拳で取り除き、手がかりとなる岩や、中間支点となる灌木を掘り出していく。背中のスキーの重みがふくらはぎの力をどんどん奪いとっていく。絶対に落ちることができない状況の中、興奮しているのに冷静で、早く登り終えたいけれど、この時間がいつまでも続いて欲しいという何とも言えない初めての感覚を味わった。
門を越え、ピストル岩と呼ばれる岩塔を越えたところで30mの懸垂下降である。記録によれば25mでも足りたというものも多かったので、50mロープを持って行ったのだが、願いも空しくロープは届いていなかった。3mほど登りかえして、灌木を掘り出してピッチを切り、2度目の懸垂下降でオチウシナイ沢へ降り立った。残るは雪壁を頂上まで登り詰めるのみだ。このころには雲もどこかへ消え、文句なしの青い空が広がっていた。山頂は目と鼻の先、標高差で約50mの地点で太ももが痙攣し始めた。悶え苦しむ私を見て、腹を抱えて笑う國見は間違いなくこの日一番楽しそうにしていた。13時50分利尻山北峰1719mに到達。風のない穏やかな山頂であった。
アフトロマナイ沢と違い、複雑な迷路のようになっているオチウシナイ沢。滑るラインを二人で再度確認し合う。学生時代繰り返し見たあの映像と同じ光景が目の前に広がっていることがとてつもなく嬉しかった。
雪崩の弱層になりうる霰が沢の中にも降り積もっていたので慎重にスキーカットで滑降を始めた。アフトロマナイ沢同様3月末とは思えないパウダースノーがそこにはあった。最大斜度50度、気持ちのいい落下感を感じながら右に左にと折れ曲がる沢を滑っていく。一旦狭くなるノドを抜けたところで雪面に亀裂が入った。「うわっ!!」と思った瞬間足元から雪が崩れて流れ始める。なんとかライダーズレフトへ滑り逃げ、流されずに済んだ。弱層はやはり霰。すでに標高差600m以上滑っていたこともあり面発生雪崩への注意は完全に頭からなくなっていた。標高差の大きい山を滑る経験不足である。
安全地帯まで滑りきり、無事に滑りきった安心感から國見と握手を交わす。何度も何度も振り返り、名残惜しさとともに海へと滑り降りた。西日を背にした 利尻山に「よくやった」と少しだけ認めてもらった気がした。
クライム&ライド。それはとても非効率的な山行スタイルである。より困難なルートを登るためには滑走道具は足枷でしかないし、ただ滑走にのみ快楽を求めるのであれば登りは不必要なものとなる。しかしながら山の懐深くに自らが入り込んでいく感覚、生きているということを強く実感することができるこの山行スタイルほど私の心を躍らせるものはない。私にとっての生きている実感とは感情が溢れ出てくる瞬間である。感動や恐怖、安心、興奮 など日常生活では無意識的に適切に抑え込んでいるそれをいとも簡単に解放してくれるのである。 そして利尻山にはさらに難易度の高い数多くのバリエーションルートと滑走ラインが存在する。クライミング技術をさらに高めることによって、その組み合わせはアイデア次第で数えきれないほどになるであろう。次はどこを登ってどこを滑ろうか、それを考えるだけでワクワクドキドキが心を埋め尽くす。私はもう完全に「夢の島」に魅せられてしまった。
※写真はすべて國見祐介氏の撮影
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