2019年11月28日

偉大なる山

夢にまで見た山頂が目の前に見えた。距離にして30mほどであろうか。平地であれば30秒もかからずに歩いてしまう距離だが、あの時の僕にはあまりに遠すぎて、止まらずに歩き続けることはできなかった。標高は既におよそ6200m。息が苦しくて苦しくて体が意思に反して前に進もうとしない。まるで水中にでもいるかのように、口を上に向け酸素を求めた。少し雲のかかる空を眺めていると気づけば、先を歩き待ってくれている仲間がぼやけて見えなくなるほど泣きじゃくっていた。僕はこの2人と共に頂に立った。

北米大陸最高峰デナリ、当時はマッキンリーと呼ばれていたこの山に登り、滑り降りたい。その漠然とした思いを抱いてから、既に5年の月日が流れていた。何故マッキンリーなのかという問いを当時の僕に投げかけてみても答えは返ってこないだろう。直接見たことがあるわけではないし、実際に登頂者から話を聞いたという事も無かった。マッキンリーは僕の中で「言葉」でしかない、遠い存在であった。それからの5年で少しの経験と技術を身につけ、多くの素晴らしい出会いに恵まれた。國見祐介、渋沢暉。SUKIYAデナリ遠征隊の仲間だ。「SUKIYA」の由来は僕らが3人ともスキーヤーであること、そして合宿時に牛丼チェーンの「すき屋」によく通ったことからそう決めた。あまりかっこいいと思わないが、なかなか気に入っている。

今遠征の計画はウエストバットレス(ノーマルルート)より高度順応を兼ねて一度標高6190mの山頂へ登り、スキー滑降を行う。その後一度下山し、バリエーションルートであるウエストリブの登攀とスキー滑降を行うというものだ。5年の時を経て、僕の目標は当時の夢を追い越していた。

高度順応での登頂と滑降を無事に終えC4(4320m)で停滞していた22日目。話し合いの結果、ウエストリブ上部のみの登攀(C4からのカットオフ)に計画を変更した。明日から2日間の晴天後、雪予報が続き計画日数内に終えることができないと判断したためだ。悔しいという思いはもちろんあったが、残された最後のチャンスでやれることをしっかりやりきりたいという思いの方が大きかった。

6月3日、23日目。バタバタとテントが風で揺れる音で目を覚ます。2週間近く滞在していたC4では雪のブロックを積み上げ対策していたため、そんなことはほとんどなかった。外へ出てみると3日間のストームに終わりを告げた露草色の空が広がり、雲海に浮かぶ「デナリの妻」ことフォーレイカーが美しい姿で出迎えてくれた。振り返ると陽が当たり始めたデナリが高く聳える。山頂付近にだけ雲がかかり、稜線では飛雪を確認できた。喉まで出かかった「難しいかな」という言葉は「行けるところまで行ってみよう」という曖昧であまり好きではない言葉に変換され自分を奮い立たせていた。

表面がクラストしたモナカ雪をかき分け急斜面を一歩一歩ラッセルして登る。今朝心配した強風は拍子抜けするほど収まっていた。しかし相変わらず稜線では飛雪が舞っている。運良く風下側になったのであろう。デナリが僕たちのために盾になってくれている、そんな風に思うと嬉しくてたまらなかった。溜まっていたガスがすーっと抜けると、僕らが立っていた雪稜は本当にウエストリブなのだと認識できた。何百人と入山し、立派なステップが出来上がっているノーマルルートとは違い、苦しいラッセルを交代しながらジリジリ標高を上げていく。デナリを僕らで独り占めしているようで何だか誇らしい気持ちになった。

標高5400m、風をよけられそうな狭い岩陰にテントを張った。さすがに気温もマイナス30度近くまで下がり、用を足しに外へ出るのもおっくうになる。体もかなり疲れているはずだが高度からくる頭痛のせいか、寒さのせいか、はたまた密着は避けられない狭いテントのせいか、ほとんど眠ることができなかった。

翌朝、國見から登攀断念の意思を聞く。一晩中続く普通ではない咳が気になっていたが、やはり体調が優れなかった。話し合いの結果、渋沢と二人で登攀を継続することとなった。9時を過ぎても陽が当たらず、寒さで手がかじかみ準備がはかどらない。

ここからは斜度40度から50度の雪壁を登りつめる。標高差200mほどは順調に登ることができたが、標高5700mに到達すると自分でも驚くほど、ぴたっと体が止まってしまいペースが上がらない。交代でしていたラッセルも最後の標高差150mはすべて渋沢に任せてしまった。苦しくて意識が飛びそうになりながら、6歩だけは止まらないで進むと心に決め、必死に登った。今思い返すと笑えるのだが、その時の僕は大真面目だ。いつしか硬く締った雪面に出来るだけ深くアイゼンの前爪を蹴り込み、斜面にへばりついて呼吸を整える。そしてまた6歩、、、。何度この行為を繰り返しても、悲しくなるほど見える景色は変わらなかった。

今まで経験したことのない苦しさに喘ぎながらも、「諦めるわけにはいかない」そう思えたのはテントで待機してくれている國見と、前を歩いてくれている渋沢のおかげだった。2人がいなければ、このメンバーでなければ、間違いなく自分自身に負けてしまっていただろう。やっとの思いでウエストリブを登り切り渋沢と抱き合った。「ヒカリのおかげで登れた、ありがとう。」と泣ながら何度も伝えた。今思い返すと、この涙の半分は「もう登らなくてもいいんだ」という思いでできていた。渋沢は「いやー、キツかったね。よかったよかった。」と清々しい笑顔をみせ、互いを称え合った。

滑降は佐々木大輔氏率いる「なまら癖―X遠征隊」の南西壁初滑降ラインを標高差300mほど滑り、オリエントエクスプレスに戻るラインに決めた。ドロップポイントに移動し斜面を覗くと、急で硬そうだが雪面はきれいに見えた。気持ちよく滑ろうとか、あそこに当て込もう、なんて考えは根こそぎ無くなり、「転ばないこと、生きて帰ること」頭にはそれしかなかった。目の前に広がる美しい景色とは対照的な恐怖から感じる緊張を深呼吸で押し殺し、滑り出した。

斜滑降で雪の状態を確かめ、ジャンプターンを一つ。雪は硬いが蒼氷ではないし、エッジも効く。大丈夫だと自分に言い聞かせ、慎重に慎重を重ねてターンを繰り返す。雪面は一様に見えるのだが、突然吹きだまりが出てきて神経がすり減る。すぐに呼吸が苦しくて斜面に横たわってしまう。こんなに早い呼吸では酸素が取り込めないと分かっていても、それどころではなかった。頭痛はさらにひどくなる一方だ。正直な話、高所での滑りがこんなにもキツいとは思ってもいなかった。ただ未だかつてない高度感のある滑降に興奮を抑えることはできなかった。渋沢はいつも以上に慎重で、見ていて安心感のあるターンを刻んだ。3ピッチに分けて滑り、オリエントエクスプレスに復帰。遙か遠くに見えていたテントも近づき、國見が見守ってくれていた。きれいだった雪面はガタガタのウインドクラストに姿を変え、より一層僕らを緊張させた。時間をかけてテントまで滑り降りた僕らを國見はいつものあの底抜けに明るい声で祝福してくれた。

初めての高所登山にスキー滑降、28日間にも及ぶテント生活に氷河での行動。本当に初めてづくしの遠征であった。この「初めて」には少なくとも僕にとって、ものすごい力を秘めている。不安や恐怖といったマイナスの感情はつきものだが、それを認識し、理解しようとすることで、新しい自分に出会うことができた。時には弱く情けない自分に出会うこともあるがそれでいいのだと思う。不安の中を手探りで進んだその先には、仲間と過ごした幸せな時間があった。これからも「初めて」を追い求めて、仲間と滑り続けていきたい。

2019年11月28日 | Posted in デナリ | | No Comments » 

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